今日本が漂流している。薄っぺらな言葉だけの政治家たちが無為無策に陥っている。
この政治の空間は「政治家」だけのためにある。現実の「生活空間」では不実な政治を見放し、自力で日常を立て直そうとしている。 不誠実な言動の中心にこの国の総理大臣がどかっと座って、てこでも動かないらしい。 大切な問題が何であり、それに知恵をもって判断し、行動を決めなければならない。でも政治家は誰もやるべきことをやらない。 政治の中枢に行けば行くほどに、保身でもって空疎な言葉を遊ぶ。今は地方の方が健全でさえあるように見える。 もっと分権を進め、中枢は国家理念や外交に精を出すべきだろう。 この状況の中で自分たちを代表する政治家を選ぶことが可能だろうか?詐欺師や泥棒猫の中から。 |
晴れ。台風は昨日の夕には南東へ去っていくところだった。おかげで、北からの風が冷たく、
気温21度という寒さすら感じる陽気になった。
そして一転、今日からは暑さがぶり返す。 めまいが治らない。今週の火曜に朝風呂中にめまいと吐き気に襲われて会社を休んだ。家で横になっていると、 印西診療所の受付時間を過ぎてしまい、診療所に行くには行ったが、受け付けてもらえなかった。 仕方なく駄目もとで北総病院に電話したところ外科の総合受付に回してもらえ、症状を訴えると直ぐに来るように言われた。 確かにヤバそうな症状ではあるかな。 CTスキャンをしてもらったが脳には特に異常は見られないとのこと。症状が改善しないなら内科を受診するように勧められた。 しかし、Webで調べると、「良性発作性頭位めまい症(BPPV)」ではないかと思う。 しかし、めまいの種類の「回転性」「ふわふわ感」などと区別しているが、自分のは回転性とは感じられない。 別に周囲が回るようにな感じないし、単に動く時に体のバランスを上手く保てないような「めまい」だ。 吐き気は火曜の朝のみで、めまいは段々弱くなってきている。昨日はテニスもしたし、少し様子見で、 改善しないなら「めまい外来」に行ってみようかと思う。 |
もう、いい加減気張って何かをしようとは思わない、この暑さだし。 去年から、多事災難に見舞われ、あっという間に今年の夏を迎えることになった。去年の9月には自転車で転び、バイク事故並みの怪我をしてしまった。 酔いからかスピード違反の自転車が雨上がりの路面にある金属プレートにスリップしたらしい。「らしい」というのは怪我を負ってからしか記憶が無い。 別に頭を打ったわけではない。左脚の膝以外は何の負傷も無い。ちょっと、これも不思議な感じ。結果、前後の十字靭帯、内側副側靭帯の3本を断裂し、 外側半月板の切除となった。今年2月末まで入院と自宅療養の繰返し。手術は2回に分けて行った。 3月から会社に復帰したが、直ぐに3月11日の震災に合う。何て付いてないんだ。16Fの揺れは覚悟を決めるほどに「気持ち悪い」。これを境に何かが変わってゆくだろうか。 戦後日本の1つの転換点になるだろうか。 このころ、猫のギュウちゃんがやせ細ってはいたが、食も細っていく。食事を色々工夫し、最後には点滴に頼ったりもしたが、もう時間の問題だという気がした。 私が失業していて、家に居た時に飼ったため一緒に居る時間が長かった。いつも私にくっついてる。去年の秋くらいからは胸に抱き上げると、しがみついて離れなくなった。 最期が近づいてくると、クッションの上でよく休むようになった。体力が無くなってきた。最後の夜の前には、いつかのように、私がながまっている所に寄り添って、ながまった。 少しボケてもいるようだったが、「ありがとう」と言っておいた。翌朝には眠ったまま亡くなっていた。5月の連休中のことだった。そういえば、家にやって来たのも5月の連休だった。 満17歳。 |
準備と言いながら、何もせずに2ヶ月が経とうとしている。 この所、ランニングばかりに精を出しているため、他のことは疎かになっている。 その間に大きな出来事が起きてしまった。10数年一緒に暮らしてきた白猫のプーちゃんが肺ガンで死んでしまった。 9月7日には牧の原動物病院に連れて行って診てもらった。食欲低下で他の病院では原因不明だったけど、点滴のついでに色々検査してくれたら、肺ガンと判った。この時点でもう手遅れだった。猫には抗がん剤での治療法しかなく、若くないと治療効果が期待できないらしい。最後まで見取ってあげることにした。この日から週に2回の点滴を始めた。1つは皮下点滴、もう1つは静脈点滴。点滴をするとしばらくは元気になれる。それに、肺ガンは痛いとか苦痛を伴ってはいないようだ。獣医さんも苦しみは無いと言っていた。 プーは食べ物を見ると食べたがった。でも、少し口をつけるとお終いになる。仕方なく掌に載せ時間をかけて食べさせてやる。これは私より妻が時間を掛けてやっていた。猫缶の匂いが手について取れないと言うが、本当に取れない。あまり時間を掛けていない私の掌すら猫缶の匂いがする。 動くのが億劫な状態になって来ると、プーは私の書斎に籠もるようになった。机の下にある棚に無理やり上がって座ってる。仕方ないので邪魔なノート類はどかし、プーが横になれるスペースを確保した。その日からプーはずっと私の足元に居た。更に動きが鈍いなと感じたとき、書斎にはプーのお手洗いも用意した。でもこれはあまり気に入っていなかったようだ。よろけながら、別室のいつものお手洗いへ向かっているようだ。 この間、私は億劫さから千倉のマラソンも葛西臨海公園の4時間走も休んだ。プーが原因ではないけど、何か億劫でしようがない。 10月6日には書斎の水呑場近くで横になっていた。動くのもままなら無い様子だ。どうもお漏らしをしたようで、体が濡れていた。直ぐに動物病院へ点滴に連れて行き、居場所を暖かい居間のケージに移した。ケージには水飲みやお手洗いを用意した。プーは嫌がることもなく大人しくケージに入っている。 翌朝は慌しく会社に行き、急いで帰って来ると、玄関を開けたときから、ふといやな感じがした。 プーが倒れていた。呼んでも反応無く、頭がトイレの砂に横たえている。後ろ足は尿で濡れている。目を開いたまま、プーは死んだ。 ダンボールにタオル等を敷き、プーの亡骸を入れ安置した。 猫にとって死は何だろう。死は体験できない。私たちの死の概念は想像の産物以外のものではない。猫は死を想像できるのかと、言い換えてもいい。プーの白昼夢には今までの生活環境で起きた経験が核となって漂っているのだろうか。僕ら家族が中心の夢の中だ。 私にとって私以外の死とは何だろう。死が何者か分からないのであれば、それは「不在」ということ以外に無い。この不在と言うものは実感するには時間の掛かるものに違いない。死がそこに無いなら、不在が間接的に曖昧にそれを想起させ、生活に沁みてくる。死は本人が通過するもので、そこにはもう何も無い。 それ以来、玄関の扉を明けても誰も声を出さないので、いつも帰宅時はしんとしている。 |
今、再開準備。 ずいぶん長い間何もしないでいた。その間の事情は時により異なっていたが、9年近くも何もせずにいた。ほとんど脳死状態だ。 しかし、人間は脳味噌がぜったに必要というわけじゃない。現に僕は生きている、それも最近は憂鬱に。この憂鬱という状態は 脳味噌の問題じゃなく、体液の問題だろうか。じゃ、今の僕は緑色の体液か。どうして緑?青じゃ暗すぎ、赤じゃ爆発しそうだから。 そう、黄色じゃ耐えられない。 |