まどろみながら「バリ・ハイ」という言葉を思い出す。この言葉は何なのだろうか。時として言葉は内容が不明のまま一人歩きをすることがある。この言葉が引っかかったままバリに到着した。そして、不明のままバリを後にしたのだが、その時にはこの言葉を意味不明のまま取り込んでいた。 |
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半日観光。現地ガイド氏の案内で東部バリ島を見る。しかし、観光と言うよりはショッピングである。木彫りの店、銀細工の店、画廊、最後に遅い昼食を取って終わり。いつもながらの白々した観光コースだが、これには慣れっこで見知らぬ土地での関門と考えて済ませる癖が付いてしまった(責任の一端は日本の旅行社にもある)。ともあれ良かったのはバスの車窓より見える田園風景と画廊のバリ絵画。 |
ガイドブック等でバリ島独特の絵画であることは知っていたが、実際にバリの伝統画を見てみると新鮮な驚きがあった。主題自体が幻想的であることもあるが、何と言っても遠近法の独自性と、空間を一杯に埋め尽くす事物の氾濫である。近現代画も在るには在るが余り興味が湧かなかった(画廊にも依るのかも知れないが)。 |
画廊では結構時間をかけて見たが、以外に良いものは少ないような気がしてきた。やはり心を引き付けられるのは伝統画である。私が買ったのは、森の中に子連れの水を運ぶ婦人と数匹の猿が見え隠れする絵である。色は黒と肌色っぽい色の2色によるモノトーンである(ほんの少しだけ薄い黄色が点在するのではあるが)。当然画面一杯を木々の葉が埋めている。葉の一葉々々が緻密に描かれ、光と葉の重なりで遠近が表現されている。事物と事物の境界が何処までも明瞭なのだ。この境界の明確さは何を意味しているのだろう。その時は少しばかりのめまいを感じていた。 |
バロンダンスを見た。しかし、これも観光用のアレンジなのか、結末がお茶を濁したような内容となっている。私が望んだ物は悪の化身と善の化身の果てるとも無い未来永劫に渡る闘争であったのに、それが私には見えない。 |
ウブドゥ(絵画の町)が見たい。目指すはプリ・ルキサン美術館。しかし、ここで一苦労。デンパサールでチャーターしたベモはバトゥアン(手前の絵画の町)でごまかそうとする。田舎道を辿った先に画廊があり、「ここがウブドゥだ」と言う。私は「プリ・ルキサン美術館へ行きたい。」と言うが取り合わない。ちょうど日本人の旅行客が画廊から出てきたので、尋ねてみる。聞くまでも無いのだが、ただの間接話法?(当然、日本語で話しているわけ)。これが効を奏してベモの運転手は諦めた。 |
更に田舎道を辿って行くと、一面の緑の絨毯に心も伸びやかになる。ウブドゥに着くと約束の代金のみを払う。気弱な不正直者の彼にちょっとばかり同情を覚える。恨むのなら「金払いの(やけに)よい日本人」という一般論の方にしてもらいたい。 |
プリ・ルキサン美術館では貴重な伝統画を何枚も見た。 呆然自失(あなたも見て来ると良い)。物を見ると言うことが、見えると言うことが当り前のように思っている日常感覚から突然放り出されてしまう、めまい。またしても遠近法の歪み(空間一杯の事物、明瞭な事物と事物の境界線)、神、動物、植物、悪霊、人間、ここには生と祈りがある。何処かに神の視座がある。光を与える角度が違えば、世界は異なってある(あなたと私は同じ世界に属したことがあるのだろうか)。 |
戸外で雨が降り出す。熱帯の雨というでなく、そぼ々々と降る雨。軒先で物思いに耽ける。美術館を包むように広がる木々と草花に慈雨となり、都会の雨を憎む。そして、都会を忘れた旅行者たちは軒先に時間を忘れてたたずむ。 間もなく雨も止み、私は美術館を後にする。 |
宿泊先のクタ・ビーチに戻るにもベモの運ちゃんと何やかや有ったが、それも楽し。旅行者一同に会しての晩餐には間に合った。 |
最後の晩とあって私はひとり飲んで歩く。皆との食事で既にしたたか飲んでいるのだが、勢い衰えず。心地よい熱気に包まれ想念の赴くままに戯れる。 |
ふと南十字星の事を忘れていたと気付き、「サザン・クロス」と言ってみる。指差されても一向に私の目には入らない。バイクに乗らないかと、現地人が言う。「ジャワから?」と尋ねる。そうだと言う。小道を縦横に行き交う。バリにもスラムは在る。アジアであることには間違い無い。都市を取り巻くこと、欲望と不安と期待とで。そして無一文で。失うものなど何もないのだ。何処かで黒い笑いが起きた気もする。身元不明な女が一杯の水をくれようとする。そして、身元不明な私がためらっている。死にはしないよ、と言われる。少し恥ずかしく思った。皆も笑っている。この水にはアジアが溶け込んでいると、私が戯れる。後は一息。遠近法についての謎が解けそうに思う。内臓が女の冷たい肌に触れたように弾け飛んだ。 |
朝は物憂い南国のもやに在る。私は何度もアジアを巡るだろう。初めて独り、見知らぬアジアの片隅に放り出された過去の日々と、新しいアジアを何度でも噛みしめるために。 |